昭和23年 山野 忠彦、木の医者となることを決意
昭和35年 山野 忠彦が有志と共に日本樹木保護協会を設立
昭和42年 山野 忠彦、国際樹木保護協会に入会
昭和44年 山野 忠彦、樹医を名乗る
昭和53年 山本 満、樹医となる
山野 忠彦と山本 光二が出会う
昭和55年 山本 光二が山野 忠彦の後継者となる
昭和60年 山本 光二、樹医となる
昭和63年 治療木1000本をこえる
平成 5年 山本 光二「立木の傷口修復方法(樹木の外科的治療)」特許認可
樹医養成セミナー第一回、第二回開催
平成 6年 新生日本樹木保護協会発会式